【絶好調の哲学】

 かつて私がバレーボール部の部活指導をしていたときに、生徒にある合言葉を義務付けていました。それが「絶好調」です。義務付けるというとやや強権発動的なイメージがありますが、決して堅苦しいものではなく、遊び心的な決まりです。私が体育館に現れて、「調子はどう?」と尋ねると、マネージャーは必ず「絶好調です」と答えるのです。そして私は「よろしい」と答えるのです。それだけの会話ですが、それを習慣にしていました。ある日、担任をしているその生徒と、たまたま教室で同様のやり取りをしていると、そのあまりに楽しそうな私たちのやり取りに多くの生徒が感激してくれました。以来、クラスの生徒も私と話すときはよく「絶好調」と言うようになりました。ある時なにか嫌なことがあったのでしょうか、眉間にシワを寄せているその生徒に私が近づいていって「どうしたの。調子はどうなの」と聞きますと、ぷんぷんしながら「ううう・・・、絶好調ですぅ」などと力なく言うのです。しかし相当無理をしている様子なので「えらいね、では絶好調であるうちに私が話を聞こう」などと言いながら話が深まっていくと、そのまま面談になることもありました。

 人なつこいのが自慢の愛徳生にこの「絶好調の挨拶」を教えると、何人もの生徒がその会話を楽しむようになっています。最近は私が聞く係のはずなのに、生徒の方から「調子はどうですか」と聞いてくる始末。答えさせたくて始めたはずの「絶好調」が、いつの間にか私が答えさせられていることになってしまいました。本日はレインボータイム(金曜の朝の様々な活動)で校内一斉清掃でしたが、4階の廊下を歩いていると突然中学2年生の教室の窓が開き、彼女たちの気持ちのよい挨拶が私に向けられました。そこで私は立ち止まり、「調子はどう」と聞いてみると、牛田さん・小嶋さん・曽我さん・正井さんが順番に「絶好調です」と見事に答えてくれるのです。なんだか言葉遊びのようになってきましたが、とにかく「絶好調」と言ってしまうと不思議と心の底から元気になってくるものです。
 「絶好調」。それは人も自分も元気づける魔法の言葉なのです。(校長 松浦直樹)