【「笑顔で挨拶」なのか「笑顔と挨拶」なのか】

 1学期のおわりに今年の学校目標のことを書きました。言葉がしっくりくるのは「笑顔で挨拶」ですが、私はあえて「笑顔と挨拶」にしています。当たり前のことですが、挨拶に笑顔を添えればもう完璧です。それをとがめる人もいないし、誰がなんと言おうと相手は最高の気持ちになります。しかし笑顔は挨拶のときだけでなく、いつもそうである方が絶対によいに決まっています。そんなふうに考えていると先日の全校朝礼で全校委員風紀から2学期の目標が「笑顔と挨拶」になったと発表があり、高2善家さん・中3東原さん・阿部先生・前川先生が登場、寸劇を披露してくれ、全校生がほっこりしました。

 

 以前バレーボールの試合の後、私の引率しているチームより数倍実力が上のチームの選手が私のもとへアドバイスをもらいに来た(そもそも弱小チームの監督である私の話をわざわざ聞きに来ることだけでも素晴らしい)のですが、私が何か話すたびに、その選手たちは全員私の目を見てうなずきながらずっと笑顔なのです。それも心から喜んでアドバイスを受けているのです。アドバイスの内容も何か特別心に響くような感動的なことは言っているわけでもないのに、です。それでも何を話しても間髪入れず笑顔で返事をしたり頷いたりするのです。これは本当に気持ちのよいことでした。気持ちよいという個人の感情というよりは、美しい光景を見て感動した、に近いものでした。それは言わされているとか、させられているとかのレベルではなく、その生徒たちの美しい「文化」を見たからです。技術や戦術以前に人間的な基礎基本ができていないチームが、こういうチームに勝てるはずもありません。

 

 またかつて担任していたクラスに2年間最前列の席を希望した生徒がいましたが、この生徒は授業ではいつも必ずどんな話でも深く頷くのです。クラスの生徒はみな後ろからこの生徒の背中を見て2年間過ごしました(このクラスは2年間持ち上がりだったのです)。自己表現のやや苦手な生徒やコミュニケーションの不得意な生徒も、いつもこの生徒の姿は「言葉がなかなか出ない私の思いを代弁してくれていた」ものであり、みな彼女のことを尊敬していました。「それならあなたも笑顔で頷きなさい」と言ったものですが、それができれば誰も苦労しません。ある授業で「命」の話をしたのですが、その生徒がいつものようにあまり頷かないので、心配になってふとその目を見ると、ぼろぼろと涙をこぼしていたのです。感受性が強く純粋で本当にまっすぐな生徒でした。強豪チームのバレーボールの選手もこの生徒も、いつも笑顔で人の話をまっすぐな姿勢で聴くというところが共通していました。

 

 そして我が愛徳生。全校朝礼などで私が前に立つとほとんどの人が背筋を伸ばしてしっかり私の目を見て話を聞いています。話しているのは私ですが、この時、まるで対話しているような感覚になるのです。皆さんこれは素晴らしいことなのですよ。
 人生は楽しいことばかりではないですが、そんなときこそ「いつも喜んでいなさい」「たえず祈りなさい」(テサロニケの信徒への手紙一・5章16節)を思い出したいものです。2学期も「笑顔と挨拶」を大切にしたいですね。(校長 松浦直樹)