【1学期のおわりに】

 愛徳学園では校訓や学校ビジョンのほかに、毎年掲げる学校目標があります。着任して学校のことがまだわかっていない私でしたが、「今年の学校目標をお願いします」と言われたので、とりあえず(と言っては失礼ですが)「笑顔と挨拶」に設定しました。それが伝統的にふさわしいのかどうかはわかりませんが、これはどこの世界でも通用する決定的に美しいテーマだからです。

 

 もとNHKアナウンサーの鈴木健二さん(皆さんの親世代はよくご存知かもしれません)は「『挨拶』とはなにか?それは『心を開いて相手に迫る』ということである」と言われています。もはや解説の必要はないと思いますが、挨拶はお決まりの文句をただ声に出せばいいというわけではありません。どんな言葉も心がこもっていなければただの「音」にしかなりません。同じようにどんな行いにも心が入っていなければ虚しいただの「行為」になるでしょう。

 

 その上で私は、挨拶は一方通行でいいと思っています。つまり挨拶はまず相手が気持ちよくなってくれればその目的は果たされということなのです。そうして、挨拶された側にもこの思いがあれば当然気持ちのよい挨拶を無条件で返すでしょう。まさにお互いが気持ちよくなるのです。「おはよう」でも「ありがとう」でもたった一言の挨拶だけで世界中が明るく幸せになるのです。しかも無料です。どれだけ使っても錆びついたり汚れたりしません。むしろ使えば使うほどいきいきと輝きを放つのです。

 

 しかし、時には挨拶した相手が思ったほどの返事をしてくれないこともあるでしょう。もしかしたら相手には聞こえなかったかもしれないし、どうしても他のことに夢中になっていて返事ができなかったのかもしれません。朝から虫の居所が悪くて「挨拶なんてするものか」と心がかたくなになっているかもしれないのです。相手を気持ちよくしようと思ってしたはずの挨拶が、こちらが期待した形で返してこなければ、「せっかく私から挨拶したのに相手は返事もしてくれなかった」「せっかく挨拶してあげたのに、もうこれからあの子には挨拶しないんだから」などとなり、結果的に自己中心的で嫌な気持ちになってしまっているのです。本来挨拶は尊いことなのに、こういうときの挨拶は「わざわざ私がしてあげたこと」になり、目的も「お返し」や「自分が気持ちよくなりたい」に変わっているのです。とにかく、だから、挨拶は無条件の挨拶でいいのです。見返りを求めてするものではありません。もし気持ちのよい返事があれば、それはおまけです。しかも最高のおまけです。

 

 行動に見返りを求めると安っぽくなります。ベートーヴェンも「報酬への期待を行動のバネとする人になるな」言っています。とにかくこの1学期、無事笑顔で今日の日を迎えることができました。お疲れさま、そしてありがとう。2学期も素敵な毎日になりますように。(校長 松浦直樹)