【始業式で話したこと】

 今日は始業式でお話しした2つの話のうち、私がこの夏体験したことを紹介します。

 

 皆さんは「グエン・ドク」という人物をご存知でしょうか。知らない人も「ベトちゃん・ドクちゃん」といえば聞いたことがあるかも知れません。

 「ベトちゃん・ドクちゃん」は、ベトナム戦争中にアメリカが空から散布した猛毒ダイオキシンを含む枯葉剤の影響で生まれた結合双生児の名前です。ベトナム戦争でアメリカ軍は、森林や農作物を徹底的に枯らしてしまう枯葉剤を大量に散布しました。その量はおよそ7300万リットルから8300万リットルです。この枯葉剤には毒性の強いダイオキシンが含まれています。実験の結果から推測すると、ダイオキシンは1㌘で50kgの人間を1万人殺すことができるそうです。これら大量の枯葉剤から放出されたダイオキシンは少なく見積もっても366kgと言われています(※)。想像を絶する量です。汚染された地域の人はもちろん、水や動植物等、直接的または間接的に大きな被害を生み出しました。爆撃のようにその場で命を奪うというものではありませんが、汚染されたものを摂取することによってその子孫にまで大きな影響が出るのです。この催奇性によって胎児、つまりこれから生まれてくる赤ちゃんに多数の障がいが出たのです。最初に紹介した「ベトちゃん・ドクちゃん」は下半身がつながった状態で生まれてきましたが、こういう障がいをもつ子どもがベトナムの報告ではおよそ300万人いるというのです。その多くは生まれる前や生まれてすぐ、あるいは生まれてから比較的早い段階で亡くなってしまうのですが、現在も先天性欠損症を抱える子ども15万人を含む100万人がベトナムで生活しています。

 やがて「ベトちゃん・ドクちゃん」のうちベトちゃんが急性脳症にかかり、危険な状況に陥ったので彼らが7歳の時に2人の分離手術を行うことになりました。これは大きく報道され、日本からも4人の医師が派遣され、支援の輪が広がりました。手術は17時間におよぶ非常に困難なものでしたが、分離は成功し、ベトちゃんは左足、ドクちゃんには右足が残されました。その後脳障害が残ったベトちゃんは寝たきりとなり、腎不全と肺炎で2007年に26歳で亡くなりました。弟のドクちゃんは、現在は結婚され双子を育てつつ、手術を行った病院で働き、世界の平和のためのメッセージを発しながら懸命に生きておられます。今年の5月には日本のドキュメンタリー映画にも出演されました。

 今回私たちはベトナムで42歳になった「ドクちゃん」に会うことができ、独占取材も実現しました。しかしそこでわかったことは想像とはかけ離れた現実でした。まだ100万人も残っているベトナム戦争の後遺症で苦しんでいる人たちは、なぜそうなったかを知られることもなく、社会からは忘れ去られて生きているのです。政府の給付金はドクさんの場合でも4800円です。自分自身の治療費・通院代はもちろん、妻と双子、がんを患う義母の扶養や教育費でとてもではないけれど生活はぎりぎりの状態です。それでも彼は日本では有名ですし、前向きに生きていますが、ほとんどの犠牲者は顧みられることはないのです。ドクさん自身も「日本では有名な私もベトナムでは近所の人以外は知らないですよ」と笑顔を見せてくれましたが少し悲しそうでした。ちなみに給付金は、重症と認定されれば2000円、級によっては500円ほどしか出ないそうです。500円というのはベトナムで有名なフォーというヌードル1杯食べられるか否かのレベルです。

 ドクさんも、案内してくれたベトナム人ガイドも、ベトナム戦争で起こったことを語ることができないと嘆きます。経済発展を進めているベトナムにとって反欧米感情につながることは避けたいのでしょう。政治の思惑が見え隠れします。

 

 実際にドクさんの話をご本人から直接聞けたことは感動しましたが、同時にショックもありました。あらためて教育の大切さと、物事の本質、そして社会で起こっていることへの関心をもっていきたいと決意した感動体験でした。(校長 松浦直樹)

(※)和光大学総合文化研究所主催シンポジウム「ベトナム戦争は終わっていない~30年後の枯葉剤被害と国際的支援~」(2005年7月7日)報告書より