【第60回卒業式を終えて】

 第60回卒業式が盛大に行われました。制約を取り払い従来通りの形で実施する卒業式は実に4年ぶりとなります。卒業式についてはすでに昨日、この学園のWebページで掲載されていますので、内容の重複をさけ、いつものように私の感じたところを少しだけ書かせていただきます。

 まずは、これまで本校の教育活動に多大なるご支援とご理解をいただきました保護者の皆さまに厚く御礼申し上げます。愛徳学園での3年間(最長の方は15年間)という道のりは順風満帆ではなかったと思います。我々教職員も一人の人間であるが故の至らなさは重々承知しておりますが、来られた皆さまの笑顔や何よりも卒業生自身の晴れやかな姿を見ておりますと、愛徳学園の存在意義のようなものを感じた次第であります。本当にありがとうございました。

 

 さて、式中の私の座席はちょうど卒業生の2,3列目の横でしたので、そのあたりの卒業生の表情を間近で見ることになりました。あまりじろじろ見ると失礼ですので少し遠慮しながら見守っていたのですが、この60回生の姿勢には本当に感心しました。椅子には浅く腰掛け、背骨と椅子の背もたれが完璧な平行になっています。それも式中全員身動き一つしません。足はきちんとそろっているのですが、よく見ると素早く立てるようにほんの少し前後しているのです。ある卒業生はずっと涙を流していたのですが、離れたところにいても涙の粒がぼろぼろとこぼれ落ちて制服に当たってゆくのが見えます。彼女はぬぐうこともすすることもせず、正しい姿勢を保ったまま、ただただ涙がとめどなくあふれ出てくる様子でした。10代後半の3年間ともなれば、いいことも悪いことも、それは一言では到底表現できない複雑な思いがあったでしょう。しかしその涙、その姿を見ているだけで、きっとこの生徒にとって愛徳学園は唯一の母校であり、生涯忘れられない学校になるだろうと確信しました。もちろん、終始笑顔だった生徒にとっても同様です。

 

 またもう一つ、卒業式中、私にしか見ることのできなかった光景のことを書いておきます。それは卒業証書授与の場面です。愛徳学園はゆっくりしたペースで一人ひとりに卒業証書を渡すのが伝統なのですが、私は60回生全員と、必ず目を合わせようと事前に約束していました。私は証書を授与する立場にありますが、全教職員の思いを背負っています。この晴れ舞台で、代表の私と目を合わせることが、お世話になった方々全員に対してまっすぐ向き合い、つながるということになると思いますのでそう提案したのです。その意味がきちんと理解できた60回生は、文字通り全員、本当に全員が、返事をする時と、証書を受け取る時に私をまっすぐに見ていました。私は心の中で「○○さん、約束通りちゃんと見ていますね」から始まって「○○さん、私と見つめあいすぎて照れ笑いしていますね」「『校長先生、約束通りちゃんと見ていますよ』、よしよし」といった具合にあの数十秒は、私とあなたが、つまりはすべての先生とあなたが心を通わせ、つながっていたのです。ただ、実際にそれを見ることができたのは世界中で私だけでしたので、それについてはちょっと贅沢なことでした。こういう約束があると、なんだか秘密めいた感じがしてきて、人は自然と笑顔になります。時にはいたずらっぽい笑顔を見せてくれたりする人もいたりして……そんなことを厳粛な式中に考えるなど不謹慎なことこの上ないのですが、とにかく全員が素直かつ素敵な笑顔で授与式が行われたことが大きな喜びです。ちなみに授与された証書を頭より下げない状態で礼をする姿には伝統と誇りを感じましたし、見ていて本当に美しく感動的な姿でした。この1年、私は何度も愛徳生の姿を「美しい」と表現してきましたが、それは愛徳学園の校訓にある「気高く、強く、美しく」という言葉に本物の響きを感じているからです。

 

 最後に、式に参列してくれた下級生の皆さんの姿勢も素晴らしかったと思います。予行で、「式は卒業生だけでなく、在校生と教職員も含めた愛徳ワンチームの心を一つにすることで作り上げるもの」と呼びかけましたが、全員で作ったあの空気感は見事の一言に尽きます。在校生の皆さんも本当にありがとうございました。

 60回生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。(校長 松浦直樹)