【「静修」のこと】(5/30)

本日は、数ある学校行事の中でも、愛徳学園ならではの「静修」を紹介しましょう。

「静修」というのは、静かな環境に身を置いて祈りと黙想をすることで、カトリック教会ではしばしば「黙想会」と言われます。「黙想会」は、沈黙を大切にするとともに、宗教的要素も多く含まれるものになりますが、愛徳学園で「静修」という時、「行事や活動を通して神様と出会う」ことになります。わざわざ「今日は静修だから何かしないといけない」ですとか、「これはしてはいけない」といった決まりごとを掲げなくても、普段通りでよいのです。そして、それは様々な活動の中で、自分を振り返ったり、他者のことを考えたり、自然や人や物に対する「思いやり」を持つ機会になるでしょう。ですから、例えば一般的な修学旅行は愛徳学園では「静修修学旅行」といいますし、野外活動は「静修合宿」となるのです。この「静修」の二文字を付け加えるだけで、何か背筋が伸びる気持ちがするのは私だけではないでしょう。毎日お昼休みの終わりに行う約5分間の瞑目も、心静かに授業の準備をする「静修」タイムです。私が毎週1時間担当している中学1年生の総合的な学習の時間も、必ず瞑目と聖歌から始めます。これも立派な「静修」だと思っています。

受験生である高校3年生には、5月1日にまる1日を使って「静修」を行いました。今年は松永神父様に来ていただき、講話と祈りと分かち合い、そして最後は愛徳学園の聖堂でミサにあずかりました。とてもぜいたくな時間です。高1も5月16日に「静修」がありました。

5月14日からは中学2年生が「静修合宿」に行きました。大自然の中で2泊3日。テレビもスマホも何もない中、自分たちだけで、協力して生活するのです。もちろん体験がたくさんあって楽しいのですが、この3日間は苦労を伴ったでしょう。同時に、その一つひとつのプログラムに取り組みながら、今まで以上に思いやりの心が育ったことと思います。私にとって「静修合宿」は、愛徳学園の数ある行事の中でももっとも評価の高い行事のうちの一つです。

ところで、この合宿プログラムの中でも、特に激しいのが標高1039mの瀞川(とろかわ)山登山です。今年は「兎和野の大かつら」へのルートが土砂崩れで遮断されていたため、迂回ルートを歩き、いつもより長い15㎞を歩くことになったのです。苦労の末に登った山頂からの景色と、根本からは年中清らかな水が湧き出ているという樹齢500年の「大かつら」の神秘に、愛徳生は感動で胸がいっぱいになったようです。ハート型をした桂の葉もなんだか愛徳生にぴったりでした。歌って踊ったキャンプファイヤーと大自然の中で行なった「みことばの祭儀」も含め、学年目標の「ともに」を満喫した3日間でした。

なお、この3日間の様子は学校の公式インスタグラムにも載せてありますのでぜひご覧ください。すっかりたくましくなった中学2年生は、上級生たちが経験してきた伝統の「静修合宿」に参加することで、「ホンモノの愛徳生」になりましたね。まあ経験していないからといって「ニセモノ」ということでは決してないのですが。(校長 松浦直樹)